Friday, September 2, 2011

遥か遠くの異国より、我が友へのエール。パート2


ところで、私が一番敬愛するロングボーダーはWingnutである。
まだ50歳にもなっていないのに、もう30年も前からレジェンドになっていたよ。
雑誌とかでその素晴らしいライドでアピールし、とんでもないサーファーである事には間違いないがコンテスト等では名前が出て来ず、サンタグルーズのローカル、ソウルサーファーぐらいの認識でいた。
その後、何十年かが経ち、私は15年前程前にフィリピンで始めてのサーフィンスクールをオープンした。おそらく何千人以上に教えているはずだ。始めてから数年後に生徒のリストを数えたら、1500人を超えてのを覚えている。
ところでスクールは始めて何年かして、私がアメリカに幾たびに立ち寄るロスのハモサビーチの"Just Logboard"のサーフショップで"Art of Longboarding"と言うビデオを手に入れた。(その頃、まだDVDなんか無かったんじゃないかな?)
そして、そこで繰り広げられるWingnutの波乗りのパホーマンス、これはまさに神業と呼ぶしかないような、それに圧倒された。とくに、あのノーバドルテイクオフなんか、もうサーカスだよ。
そして、この業を何の気取りも無く、丁寧(ていねい)に一つ一つ説明してくれる。これは正にサーフィンの解説書(ビデオ)であり、初心者からエクスパートまでが学べる物である事を知った。
繰り返し、繰り返し見た。そして、私のサーフィンの生徒にもそのように見せた。私は今でもこのビデオを繰り返しこのビデオを見ているし、娘のマーラやカンタ、そして最近私とサーフィンをやるようになった息子ケンにも見せている。ケンはサーファーの名前は、おそらくWingnutしか知らないと想う。そして彼の大フアンだ。
ところで、先週マジックレフトが久しぶりに爆発し、そこで娘や息子達や仲間達と波乗りをした。その合間に、息子のケンと皆の波乗りを見ていた。その中に抜きん出て旨い奴がいた。
彼の事はよく知っている。彼はここに住む漁師であるが、マジックのビッグデーには必ずラインアップで目にするし、いつも一番奥で私と波を競うオッサンとしか呼びようがない奴である。
「ケン、見ろ。あれが、このマジックレフトのWingnutだ。だが、本人はその事を知らない。おそらく、自分がとんでもないサーフィンをしている事も知らないんじゃないかな。たぶん、彼が知っているのは、自分がただのフィシャーマンと言う事だけだ」
そんな話をケンにした。
フィリピンには、そんな奴がごろごろしているよ。こいつらこそ、ハワイが世界の檜舞台に経つ前にDUKEたちとその仲間がそこでサーフィンをしていたようなメンタリティーでサーフィンをしている真のソウルサーファーではないか、そんな想いが湧いて来た。
そんなことでWingnutのビデオ想い出し、また観た。
今度は、ビデオでは無くDVDで。これは、10年程前(そんなにはならないか?)に日本に帰った際に伊澤サンにあった際に貰ったものだ。
私はこのビデオはすり切れる程観て、本当にすり切れるのを心配していたので、彼がこれをくれた時は、「もう、その心配は無い」と、その意味で嬉しかったよ。お陰で、まだ古いビデオもすり切れないので、貴方から頂いたこのビデオはまだ封を切らずに大事に取ってあるよ。
ところで、彼からビデオを貰った際に、このビデオは彼が創った物なんて知らなかったので随分驚いたよ。アメリカのどこのサーフショップでも目にし、てっきりMade in USAだと想った。
私は彼に、このビデオでは随分お世話になったお礼を申し述べた。自分のサーフィンの勉強に、又生徒達に教えるのに、、、。

彼とは、共通の友人、カンラマンの柴田大巨匠、同郷のヒロオを通じて知り合ったのだが、’こうした映像制作が本職だと知ったのはこの時だ。
このプロが、満を持して今回始めたのがThe Surfer's Journal"の日本語版の刊行だ。
満を持してとは、用意周到でと言う事だ。
映像の世界で、あれだけ成功している彼が、こうして満を持してやるのだ。どのような展開を見せてくれるのか、本当に楽しみにしている。

今、このブログの為にWingnutのこのビデオのデーターをグーグルでチェックしていたら何とこのビデオは、もう3巻目を創っているのですね。
1巻と2巻は伊澤サンから頂いていますが、この3巻は私が日本に帰った際に下さいね。伊澤サン、、。






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