Sunday, September 25, 2011

サヨナライツカ 邂逅と新生


9月26日
昨日DVDで、「サヨナライツカ」と言う映画を観た。
場面場面で、何度も何度も涙しながら観た。
涙すると言う事は感極めると言う事だろうが、何が私を感極めさせたか考えて観た。
この映画での行為自体はいわゆる不倫であるが、それ故に成就しない純粋な愛の物語となって我々の心を打つ。
成就しないがゆえに、思い出はいつまでも昔のままの美しい形で残り純粋な想いとなって消化されて行くのだろう。
さて、この男は現実の生活と敷かれたレールを踏み外さない人生を選んだ。結果的に、彼女との愛を諦めた、若しくは切り捨てた。
一方、家庭や約束された人生を捨てて彼女を選んだ生き方をしたとしたら、彼はどういう生き方をしただろうか?
実は、正にここような出逢いをし、その同じオリエンタルの同じ部屋で同じような逢瀬を重ねた男を知っている。
しかし彼はすべて(愛する家族や祖国さえも)を捨てて、彼女の元に走った。
ここに映画の主人公とは逆の選択をした男の一つの人生がある。時あたかも21年前の出来事だった。
その選択(私の愛した女)について、私はいつか物語を書こうと想っている。
自分自身の心のけじめの為に、そして子供達に「お前達はこうしたパパとママの物語から生まれたんだよ」と伝える為に。

ところで今想い出したのだが、今年の1月に久しぶりにバンコクに行き、オリエンタルに泊まり、下記のような感慨を文章として綴っている。
日々の忙しさにかまけてその事をまったく忘れていたが、今回の映画は又わたしに21年前の選択と今年1月オリエンタルで考えたこと等、そうしたことを想い出させた。



2011年1月18日
邂逅と新生

今回マニラを出る前に、「私にとって旅とは、遥か遠きものに対する愛、憧れだ。これこそ私をして旅に駆り立てるものだ。」そんな事をほざいたが、今回の旅はそんなに生易しいものでは無かった。

私はバンコクに来る度にいつもの朝をそうするように、チャオプラヤー河を見渡すオリエンタルホテルのレストランで朝食後のコーヒーを飲みながら眼前の河のたゆとう流れのように、まどろんだ時間を過ごしていた。
少し霞がかかったような夜明け前の淡い光が水面(みなも)に反射し、対岸には三島由紀夫が「暁の寺』と名付けたワットアルンがその勇姿をそびえさせていた。
そうした時間もしくは空気の中でコーヒーを飲みながらゆったりとした過ごしていると、まるで彼らがここで過ごした時間にタイムスリップッして行くような心地になって来る。
サマーセットモームや三島がここで過ごした古(いにしえ)の時に、、、、。
そうした夢見心地のような中で、何をすするともなしに過ごしている私の目前に一人の男の姿が映って来た。
その男の姿を追うとも無しに追っていると、私はある事に気付き驚愕してしまった。
あいつは私ではないか、、、、。
いや、正確に言えば21年前の私を、私は見ているのだ。
そうだあの時、1990年のあの時、私は確かにこの場所に居た。
そのことをまるで昨日の事のように鮮明に思い出すが、あれから21年もたっていたのか、、、、。
それにしてもこの21年と言うのはあっという間の出来事だったなあ。
こうした過去にいっさい振り返らずにやって来た自分にも驚くが、この21年の歳月が一瞬にして過ぎてしまったその現実にも、私はあぜんとし愕然もする。
それにしても時の流れの速さよ。
そのことを思うと、月日と言うものも我々と同じように旅をしているんじゃないかと言う思いになって来る。いや確かにそうだ。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也、、、、この芭蕉の言葉はまさにそのことを言っているのではないか。


今回の旅に関しては、今こうして大河を見ながら21年前に想いを馳せると、「ああ、そうだったのか」と、今回の旅の意味を想い知るのであった。
物事には必ず意味がある。
その事に当初は気付かなくても、後になって「ああそうだったのか』と思うことが多々ある。
今回の旅もまさにそうだ。
今回旅は私に取って21年前の自分に出会う為の「邂逅の旅」だった

さて、21年前のわたしを見よ。
そこには、浅はかで、意志の弱そうな若者がいた。
彼は、まるで屠(ほお)り場に行く雄牛だ。
やがて、矢が肝臓を貫くであろう。
彼は罠にかかる鳥よりもたやすく
自分の欲望に掛かったことを知らない。

あの頃の私は、日本ではかなり社会的地位もある大物達に随分かわいがられていた。
俺はこういう大物を知っているんだ、そう言う人たちにかわいがられているんだ、そう言った想いで有頂天になり、それがまた随分無理なことをすることにもつながって行った。
その無理な結果の代償として、若造が持つにはふさわしくないような大金を頂いた。
彼らは私に私が望む以上の金を与えてくれたが、「君のような若造がこんな大金を使うと怪しまれるので、派手な事はするな」とキツく注意をされた。


それで私は考えを巡らし、海外ならば良かろうとタイにその拠点を求めた。
チャオプラヤ河をを見を渡す場所に高級なコンドを二部屋買い、毎週末のように飛行機でこの地を訪れ、湯水のように金を捨てて行った。
金は湯水のように湧いてくるものだと思っていたし、実際湯水のように湧いて来た金で何でも出来ると思っていたし、またそのような傲慢不遜な振る舞いをしていた。

そしてあの日あの時は、バンコクに誘っていたある女性が彼女の国からやって来るので、このホテルの一番値段の高いスイートの部屋を取り彼女を待っていたのだ。
その当時、オリエンタルホテルと言えば世界のホテルの番付けでナンバーワンにランクされザオリエンタルの称号で呼ばれていたものだ。
そこのスイートとなると相当なものである事は想像出来るだろう。そこに10日間ほど部屋を予約して、彼女を待った。
彼女との出会いは、知り合いのフィリピーナから「フィリピンの有名な女優さんが来ているので紹介してあげる」と、連れて行かれて会ったのが最初だった。
私の彼女に対する最初の印象は、「フィリピンから落ちぶれてこの日本に来たのだろう」ぐらいの思いしかなっかた。
もっとも彼女の方は、後日彼女の話によると、かなり強い印象を私に持ったようで、「この人に近付いてはならない。危ない』と思ったと言う。
私は彼女よりも、その友達に夢中になり、その後も一緒について来る彼女のことをまるで邪魔者のように扱った。
そのことは、フィリピンで有名な女優としてちやほやされて来た彼女にして見れば非常にプライドを傷つけられることだったに違いない。
そんなことなんかおかまいなしに、私は彼女を無視し、邪見にし続けた。
しばらくして彼女は突然「フィリピンに帰る」と連絡をして来た。それでお別れの夕食を二人ですることにし、会って、別れる時に、なぜか「こいつをバンコクに呼びたい」と思った。
何だか今まで私が彼女にして来たことへの罪滅ぼしのような、このまま別れてしまったら二度と合えない、そのようなセンチメンタルな気持ちになり、ただ誘って見た。
彼女は、「行く」と返事をした。切符代を渡し、バンコクでの2ヶ月後の再会を約束し、別れた。
そして今、私が見ている男は、その彼女を持つ私なのだ。
彼女はやって来た。
スイトーとはいえ、部屋を一つしか取っていないことに彼女は不快感を示し、「あなたとは寝ない]と言った。その答えとして、私は彼女に買い物には充分な金を渡し、毎晩彼女をほったらかしで飲み歩いた。
その合間に、何度か一緒に街に出たり食事をしたりもしたが、彼女はまるで汚いものでも見るような目と態度を私に向けた。
事実、その当時の私は汚れきった、身も心も腐ったようないやな男だった。女に尊敬のかけらも見せない、金で皆を服従させられることが出来ると思っているような男だっだ。
そして、毎晩朝まで飲み歩いて酒の匂いをプンプンさせて帰っては横柄な態度を見せるような男に、女性をヨイショする為に生まれて来たようなフィリピンの男共を見て育って来た彼女には、’こんな傲慢不遜な男は理解の範疇には無かったに違いない。
また、その頃私はタイのとあるドラッグにハマっていて、毎日ぶっ飛んでいて、とてもまともに話が出来るような状態ではなかった。
そんな彼女が、帰る前の日に突然態度を軟化させて来た。
今までのかたくなな態度から柔和な優しい態度になり、私に歩み寄ってくるような素振りを見せた。そして、あろうことか私に「ドラッグをくれ」と言う。え、と聞くと、「あなたを理解するには、私もドラッグをやらないと出来ない」と言い、いきなり私のポケットからそのピルを取り出すと、一気に摂取量の5倍ぐらいの量を飲んだ。
二人はそのまま街に出て、ハイな状態でバンコクのストリートと言うストリートを彷徨し、そしてまたその合間にピルを飲み続けた。スーパーハイで、愉快で、分けもなく笑い転げ、そして何よりもこれまで気持ちが通じなかった二人がやっと一体になれたと言うか、彼女が私の為に、私を理解してくれる為にドラッグを飲んでくれた、そのことが本当に嬉しく、とても私を幸せな気持ちにした。そして、私は彼女に希望と言うか愛のようなものを感じ始めていた。
その晩、宿に戻ると、私は疲れ果ててぐったりとしてしまっていた。
そんな私を彼女は裸にして湯船に入れ、体を丹念に洗い、ベットでマサージをし、体中にキッスをし、そして私を受け入れた。
ドラッグでハイな私はイクことが出来無かったが、彼女は「今まで男とのセックスは楽しめたことが無かったが、生まれて始めて男とのセックスでエクタシーを感じ、イクことが出来た」と言った。
そんな彼女を、いとおしいと思った。朝の5時には空港に行かなければ便に間に合わなかったのだが、名残惜しく、その便をキャンセルし香港経由のキャセイパシフィックのファーストを新たに買い直したことを思い出す。
彼女は、「僅か2、3時間を余分に過ごす為に、随分高くつく買い物をしたね』と笑っていたが、私は既に彼女の虜になり、僅か2、3時間でも一緒に過ごせるならばお金等何とも思わなかった。
これが、彼女との恋の始まりだった。
その後、フィリピンと日本に別れて、我々は手紙でのやり取りをした。(メールなんて、その当時はなかったよ。)
100通を超える手紙のやり取りをしたのではないか。(今、その手紙をマーラが大事に持っています。)
そうした手紙のやり取りをするうちに、「我々はひょっとして、運命ではないか」そのようなことお互いに感じるようになり、そうした仮想はやがて確信へと変わって行った。
その夏の八月、私は始めてフィリピンと言う国に渡った。
一ヶ月過ごす中で、彼女は「私との子供が欲しい」と言った。躊躇なく、私はそれに合意した。そして救った子供が、マーラ、おまえだ。
プンタバルアルテのリゾートでお前を創った。だからお前は別名、プンタと言う。岬と言う意味だ。
子供はアメリカで生んだ。
最初、「あなたとの愛の証しに子供が欲しい、他は何もいらない」と言っていた彼女は、子供が出来ると「認知して、戸籍謄本に載せろ」と言った。そして次は、「離婚をして、自分を正式の妻にして欲しい」とせがんだ。
色々あったが、その通りにした。
そうして一緒になったものの、私の女癖の悪さは一行に直らないどころか、ますます拍車をかけて行った。
そのうちに、「あなたは家庭人としての自覚がまったくない。あなたのような人は、いっそ家を出て好きなことをした方がいいんじゃないの」と言う彼女の皮肉に、売り言葉に買い言葉ではないが、「はい、分かりました』と家を飛び出した。
そして、現在に居たっている。
彼女との21年を手短に書くと、こう言うことだ。
彼女は、マリア、イサベル、ロペスと言う。
ミスフィリピンから女優になり、今までに彼女が主演した映画は50本以上はある。そして一昨年彼女が主演した映画「キナタイ」は、フィリピン映画至上始めてカンヌ映画祭で外国映画部門のグランプリを取っている。
そして同じくその年、彼女は釜山国際映画祭にフィリピン映画界を代表して一人招待を受けている。
昨年は、彼女が主演した別の映画で、東京国際映画祭と釜山国際映画祭に招待をされている。
今年はベルリン国際映画祭の招待を受け、マーラと二人でこの二月にヨーロッパに出かける。
こうして見ると、もう私などの手の届かないところに彼女は行っているようで、実際私のことなどもはや歯牙にもかけていない。
そして今、その彼女は私に離婚を迫っている。

さて、21年前のあの日あの時に話を戻そう。
今にして思えば、あの日あの時が私の人生の大きな分岐点だった。
もし彼女が私の申し出を受け入れずに、このバンコクにあの日来なければ、、、。
もし彼女が私を男としてあの日受け入れなかったら、、、、。
今の私は存在しなく、まったく違っていた人生を歩んでいたことは間違いない。
私はフィリピンに移り住まなかっただろうし、
ケネエットやトックと言う私の人生の中での大事な友であり仕事上でのパートナーでもあるこの二人にも、この人生で巡り会わなかっただろう。
そして何よりも、マーラとケンはこの世に存在しなかったのだ。
そして、今私が信じる神にも出会わなかったかもしれない。
その意味で、彼女は間違いなく私の運命の女であり、私の人生を左右した女だ。
彼女と出会わなければ、私は今とまったく違う人生を歩んでいた。それほど私の人生にインパクトを与えた女性だ。
しかし、あれほど大恋愛をし、全てを投げ捨てて一緒になった女を大事には出来ず、今ではその彼女に三行半を突き付けられている。
その全ての原因は私の女癖の悪さにある。
考えてみると、物心ついてから私のその行動の起点は全て女であり、女への思いのみで生きて来たと言っても過言ではない。
ずっとずっと、女のみを追いかけて来た。
そこに私の情熱があり、喜びがあった。
たといそれが虚しきものを追いかけていることだと知っても、それを止めることはしなかったし、また出来なかった。
何故だとか考えもしなかったし、それが自分の好きなこと、やりたいことであり、それが私の情熱のすべてだった。
そして、その本当に好きなことを、ひたすら追いかけることが、私であリ、それを止めたら私ではないと自分を正当化して来た。
それにまつわる、馬鹿なこと、愚かなことも随分して来たが、後悔はないし、何よりも楽しかった。
そして今、女房は愛想を尽かし、何も残ってていない。孤独と言うなの自由以外は、、、、、。
失ったものは大きい。
しかし私はそのことの感傷には浸らない。
何かを失うと言うことは、また何かを得ることでもあるのだ。
私は、それは寂しいまでの孤独と自由だと思った。
だが、そうではなかった。
もっともっと、素晴らしい揺るぎないものに私は出会った。
もっともっと、大きな愛に出会った。
その大きな愛(神)は、愚かなる私を否定するのではなく、それどころか私を無条件の愛と言うもので愛し続けてくれた。
女性に関しても、私が女をとことん求めた時、それを否定するのではなく、とことん求めにも求め、愛して愛し抜く、その私のけなげさを認め、私が望む全てのものを与えてくださった。
そしてまた、それは私の欲望が創り出した幻影であると言う知恵も授けてくれた。
その欲望は、そうした女の愛を求めるのであれ、金を求めるのであれ、本当のものの代用品を求めているに過ぎないと言うことも教えてくれた。
だから、どこまで突き詰めて行っても本当の満足は得られないと言う。
ならば、どうすべきか?
彼は、本当のものとは彼自身つまり神だと言うのです。そして、「私が情熱のすべてを女たちに傾けたように、その想いのすべてを今度は私(神)に向けてみないか」と言うのです。
考えてみれば、私が何の想い煩うことや心配ごともなく、こうして本当に平和な気持ちで今この場所に居られること自体奇跡のように思える。
自分の仕出かして来たことを考えると、よく殺されなかったものだ、よく訴えられて刑務所に入れられなかったものだ、よく大病をしなかったものだ、よく事故に遭わなかったものだ、よく自殺をしなかったものだ、等々、そうしたことを思う。そして、そうしたことが起こらなかったのは、やはり私が神様に本当に愛されて守られて来たからだし、またそれが奇跡でもあるのだ。

書の中の、「イザヤ書」四十二章に、
傷ついた葦(あし)を折ることなく
暗くなってゆく灯火を消すことなく
とあるが、この意味は、
我々が傷つき果てても、決して神は我々を立ち直れない程痛めつけることはしないし、ましてや殺すようなことは決してしない。
また、消え行く心の灯火を決して消すようなこともしない。
これは神は我々に乗り越えられないような試練は決して与えないし、希望と勇気を与え続ける、と言う意味だ。
ここに神の我々に対する絶対的な約束があり、我々の希望がある。

ならば、彼が言うように付いて行ってみるか。
いやそうではない。本音を言えば、私は好き勝手なことをして来て、その限りを尽くしたが、もはやそこには本当の興奮と真実は見いだせなくなって来ている。
今、私を本当に興奮させるものは彼との日々の中での対話であり、彼の弟子として生きて行きたいと心から思っている。
過去の20年を一瞬のうちに無為に過ごして来たが、これからあと何年生きられるかは分からないが、日々を彼と共に歩もうと真摯に思っている。
そして、そこに本当の興奮と喜び、そして心の平穏を見いだしつつある。
私はこうした生真面目な話をすることにいつも羞恥の想いを持ち、物事をちゃかして話す傾向にあった。
自分を大事に出来ない人は他人をも大事に出来ない。自分をちゃかす人は、他人をもちゃかすことになる。
その意味で、汚れ傷つく人生の中で失ってしまった愚鈍なまでの純粋性と生真面目さを今一度取り戻し、それをちゃかすことなく、真摯に向き合い、その想いを述べ伝えて行ければと思っている。
二十一年間、愚直なまでに己の欲望のみを追い求めて来た。
自分がしたいと思うことをすべてやってみたが、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。
何と言う空しさ、すべては空しい、、、。
そしてすべてに耳を傾けて得た結論は
「神を畏れ、その戒めを守れ。
これこそ、人間のすべて。
神は、善をも悪をも
一切の業を、隠れたこともすべて
裁きの座に引き出されるであろう。」
神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福になる、
と言うことだ。

こうしたことを思いながら、私は神に祈りを捧げた。
すると突然ホテルの背後から太陽の光が射し、対岸のワットアルンを真っ赤に燃えるような深紅の色で染めた。
それはまるで私のこれからの行く道を明るく輝く光で照らし続けてくださると言う、神からの私への希望と約束の啓示メッセージでもあるかのようだった。
そして、私は神の声を確かに聞いた。
「お前のして来たこと、犯した罪のすべてを、私は赦す。
あなたはこれから、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、あなたの神である主を愛しなさい。
また隣人を自分のように愛しなさい。
そして、自分の体を神に喜ばれる聖なる生けにえとして捧げなさい。
お前がその言葉を守るならば、私はお前に望むものをすべてを今後与えて行く。」
その言葉を聞いた時、私は胸からこみ上げてくるものを止めることが出なかった。
心から嗚咽がこみ上げて来た。
当たりもはばからず、私は泣いた。
ああ、こういうことだったのか。
私は、自分に出会う為にここにきたのだと思ったのだが、神と出会う為に、そして新しく生まれ変わる私と神と契約の確認をする為にここに来たのだったのか。
そして、神はさらに語りかけた。

「強く、大いに雄々しくあれ。
うろたえてはならない。
おののいてはならない。
あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」
(ヨシュア記一章)

さあ、マニラに帰り、新に始まるこれからの人生を神と共に生きて行こうではないか。


1月18日 
バンコクにて、
横浜 寛