Thursday, August 11, 2011

邂逅 ホセ・リサール


フィリピンと言う地に落ち着いて、いつのまにか20年以上の月日が経っている。
考えてみたらこの国へ私が来たのは、私が回った他の国々のように「ああ、行ってみたい」と言うような衝動で訪れたのでは無く、その後私の妻となる女を追いかけて来たのが切っ掛けだった。だから積極的にこの国を尋ねて来た訳ではまったく無い。それどころか、フィリピンなんて国は彼女と知り会うまで私の頭の中にはまったく存在しない国だった。勿論、東南アジアの何処かにある国だと言うぐらいは知っていた。来て見て、その貧しさに驚いたよ。てっきり東南アジアの一番裕福な国だと想い込んでいたから。当初は、私にとってそのぐらいの国だった。
住み着いた当初は、回った国々の中で唯一好きにはなれない国だった。それが今では一番居心地のよい場所になっている。あれほど旅が好きで、見知らぬ国の見知らぬ場所を訳けも無く放浪するのが好きだった私が、いつの間にかまったくそう言った旅に想いを馳せなくなって行った。それは、私がこの国を好きになることに反比例しているように想える。
私をそうした出不精にする程、この国は魅力に溢れている。時間的な余裕があれば、私は他の国に行くことより、この地でわたしのとっておきの場所に向うだろう。それが、ブルーへブンだったりハーフムーンベイだったりする訳だ。日々の生活の中でも仕事の合間にちょいと足を伸ばせば、30分程でタガイタイの山に到達する。眼下は阿蘇をも凌駕する雄大な景色。そこには随分素敵なレストランや珈琲屋が沢山ある。そこで心地よい風と涼を楽しみながら、のんびり過ごすのも悪くはない。
マニラと言うこの喧騒の大都会にも、素敵な落ち着く場所はいくらでもある。
たとえば、イントラムロス(imtramuros)あたりを散策してみるがよい。ここはスペイン当時下に最初に創られた街で、周りを城壁で囲まれている。(確か、イントラムモスとは城壁と言う意味だと想う。)その中には、当時の面影そのままのスペインの街が残っている。石畳の路地、パティオ(中庭)を配した石作りの家々。古い荘厳な教会。ここは世界遺産にもなっている場所でもある。
その一角にサンチャゴ要塞があり、その中にホセリサール記念館がある。ここでは、要塞の中のホセが処刑されるまでの数ヶ月を過ごした牢獄を実際の記念館としている。

私はこの地に住み着いて20年余りになるが、未だに日々このように異国を放浪する旅に身を置いている自分に気付くのです。
皆さんも、フィリピンに色々なご縁で住み着いておられると想います。
我々のようにこの地で骨を埋める覚悟を持って生きている人もいれば、仕事で否応無くこの地に配属されて来て何年かの後(のち)にはこの地を離れる人も居ましょう。
ただ同じ住むならば、このフィリピンの何かに触れて、良い思い出を創って頂ければと想うのです。私の日頃のメールには、そうしたメッセージも込めているつもりです。
たとえば美味しいお店を探すでも良し、歴史的な場所を散策して見るのも良し、ホセのような愛すべき偉人を知るのも良し、この国の芸術(文学、絵画、映画でも)に触れるのも又良し。フィリピンの人達と交流するも良し。クリスチャニィテー(神)に付いて触れるのも良し。もちろん、サーフィンをするのも良いでしょう。私に出来ることがあれば、ささやかながらお手伝いを致しましょう。

皆さん、実はこれは今日私が訪れたお客様に話した言葉です。
ねえ、黒田さん。

ところで、ホセリサール。彼の詩はね、すごくすごく熱いんだ。
ちょっと載せてみようと思う。


Mi Ultimo Adios, 我が最後の別れ



さようなら、愛する祖国、太陽に愛された地、東海の真珠、我らが失楽のエデン!
おまえに喜んで捧げよう、この哀しくやつれた命を。



たとえもっと輝かしく、みずみずしく、華やいだ命だったとしても、
やはりおまえに捧げよう、おまえのために捧げよう。
戦場で死にものぐるいで闘い、
ためらいも後悔もなくおまえに命を捧げる人々もいるのだ。
死ぬ場所は関係ない。殉死の糸杉、勝利の月桂樹、敗北の白ゆり、
刑場か荒れ野か、戦場か苦難か、
どれも同じだ。祖国と家族のためなのだから。

わたしは死ぬのだ。この空が色づき、
闇の黒衣をおしやり、ついに一日が始まる時に。
もし、おまえの夜明けを染めるくれないが要るのなら、
日の出のその時わが血を注ぎ、まき散らすがいい。
そしてその清新な光でわたしの血を金色に輝かせてほしい。

一途な少年の日のゆめ、
血潮たぎる青年の日のゆめ、
それはいつの日か、東海の珠玉よ、
おまえの黒い瞳に涙なく、つややかな額は凛として、
表情のくもりも、恥じらうこともない姿を見ることだった。

わが生涯のゆめ、今なお燃え立つ望み、
幸あれ! 去りゆく魂が叫ぶ。
幸あれ! ああなんと素晴らしい。おまえに翼を与えて倒れるのは、
おまえに命を与えて死ぬのは、おまえの空のもと死ぬのは、
そしておまえの麗しの大地でとこしえに眠るのは!

いつの日かわたしの墓のくさむらで
つつましく咲く花を見たら、
おまえの唇に寄せて、わたしの魂に触れてほしい。
それでわたしは額に感じるのだ、冷たい墓石の下で。
おまえの息づかいにやさしさとぬくもりを。

月は静かにやさしくわたしを照らすがいい、
朝日はひとときの輝きを放つがいい、
風は重々しくうなるがいい。
そして一羽の鳥が舞い降りてわが墓標にとまったら、
その鳥はやすらぎの歌をうたうがいい。

太陽は燃えたちて、雨を乾かし、
空に戻すがいい、わたしの叫びをたずさえて。
友がわが早死に泣くのもそっとしておくがいい。
そして静かな夕べ、わたしのために祈る人があれば、
祖国よおまえも祈ってほしい、わが休息を神に。

祖国よ祈りを捧げてほしい。運なく倒れた人々に、
すさまじい暴虐をたえ忍んだ人々に、
悲痛にうめく哀れな母たちに、
親や夫をなくした人々に、拷問に苦しむ囚われ人に。
そしておまえ自身に祈りを。いつの日かおまえが救済されるように。

そして、夜のとばりが墓場をつつむ時、
ただ死者のみがそこで孤独に夜を明かすのだ。
その安らぎを乱さないでほしい、その秘めごとをあばかないでほしい。
竪琴の調べが聞こえてきたら、
それがわたしだ。愛する祖国よ、おまえのために歌うわたしだ。

そしてわたしの墓も人々から忘れ去られ、
十字架も墓石も無くなったら、
そこがすき返され、耕し広げられてもかまわない。
わたしの灰は無に帰するのではなく、
おまえの大地を敷きつめるのだから。

それならもうおまえから忘れられようと構わない。
おまえの大気を、空間を、野山を、わたしは渡り歩こう。
そしてわたしはなろう、みずみずしく清らかな調べに、
香り、光、彩り、そよめき、うたごえ、うなりに。
わたしの信じることを繰り返しながら。

敬愛の祖国よ、わが苦悩の中の苦悩よ。
愛するフィリピナス、最後の別れを聞いてほしい。
おまえにみなを託そう、両親も、愛する人々も。
わたしは行くのだ。奴隷も刑吏も抑圧者もないところへ、
信仰が人を殺さぬところへ、神の統べられるところへ。

さようなら、わたしの家族、いくつもの思い出、
幼き日の友達、もう還らないぬくもりの。
疲れし日のやすらぎに感謝を。
さようなら、いとしい異邦人(ひと)、わが友にしてわが喜びの。
さようなら、大好きな人たち。 死とはやすらぎなのだ。

End


私は、こうした人達に邂逅出来て、
こうした言葉(詩)に触れることが出来ただけで、
この国に来て、こうして彼らと同じ大地に立ち、
こうして生きていることを嬉しく想うのである。
彼らが生まれ愛したこの国は、私が生まれた国でもなく、私の祖国でもない。
しかし、この国は私の愛するもの達や我が子供達や孫達の祖国でもある。
英雄達が愛し命を捧げたこの国で、私の愛するもの達のこの祖国で、
私もその人生を全うする。
それが私の願いであり、それを嬉しくも想う。
ホセの詩に触れ、そんな愁傷な気持ちに涙ぐみそうになりながら、マーラに合ってホセの話をしたら、
「ホセって、女たらしだったんだよ」と言う。(その言葉に、急にこいつはアメリカ国籍だったな」なんて想ってしまったよ。)
このフィリピンの英雄の横綱も、我が娘マーラにかかると形無しだ。
でも、確かに彼は女に持てたたらしい。日本人の彼女も居たらしい。
それにしても敬虔なクリスチャンであるはずのこの国で、こうしたことには目くじらを立てる声は聞かない。
これをいい加減と見るか、愛と寛容の国の面目躍如、おらかで余裕と見るか。
わたしは、その両方を見、そしてこれが私をこの国を好きにさせる理由でもあるのかなと想うのである。





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