Friday, August 12, 2011

邂逅 湘南


最近、フェイスブックで知り合った湘南のある方から、Nが連絡を取りたがっているとのメセージを頂いたが、しばらく返事をせずに今日まで来た。

Nに付いては、青春の一時期かなり親しく付き合ったことは事実だ。
彼を一言(ひとこと)で表現するとすると、「強烈な個性だった」としか言いようが無い。その運動能力、行動力、ガッツ、カリスマ性、頭脳、センス、実績、そのどれをとっても、かなり秀でているものがあったことは誰もが認めるところだろう。彼のそうした才能と行動力により、当時の日本のサーフィン界をリードする中の一人に位置付けされていたと言っても過言では無いだろう。
かなり親しく付き合い、一緒にサーフィンをしたり、サーフィンの取材旅行や雑誌の編集の仕事を一緒にしたりもした。が、結局大きなケンカをして別れた。そのことで、彼よりも巻き込んだ彼の友に対して、今でも本当に申し訳なく想い、想い出しては心が痛む時があった。
田舎から出て来た私にとって、湘南やそこに住む人達はまぶしく輝いて見え、その彼らにかなりの憧れを持って近付いた時期がある。そして、かなり親しく付き合いをさせてもらった。その中に、Nも居た。
深い付き合いをし、楽しくもあったが、ある日、あることから大きなケンカになった。そのおとしまえは、私の暴力であっけなく幕を閉じた。(そのことについても、今でも想いだしては心が痛む。)この事について言い訳になってしまうが、あることを切っ掛けに、私がいつも憧憬の眼差しで見続けた彼らは実は平気で人を利用したり裏切ったり利用したりする薄っぺらな類いの人間であるとの想いに至り、それが暴力と言うもっとも尊敬から遠い行動で私に決着をつけさせた。
このようなことがあって、私の憧れは幻想であるとの想いに至り、それは失望へと変わって行った。次第に湘南から足が遠ざかるようになり、それに反比例するかのように私は海外に目を向けるようになった。永い異国への流浪の果てにいつのまにか、このフィリピンの住人になっていた。
湘南とは、いつしか私にとって遠い記憶の彼方にある過去の滅多に想い出しもしない存在になって行った。幾歳月が過ぎ、最近このフェイスブックのお陰で、多くの過去達に邂逅する。それと共に、忘れていた過去にまた引き戻されていく自分を感じる
最近になって、フェイスブックで旧交を取り戻し、「懐かしい、懐かしい」と盛り上がっていることが多かったが、今回のNのことを切っ掛けに、こうして今の状況を改めて考えている。
現実的に考えて、今また彼らと旧交を暖めて、果たしてまた我々は昔のようにやっていけるだろうかと自問する。
答えは、否(いな)。
彼らと過ごした日々を懐かしくは想うが、もう終わってしまった、戻れない遠い過去の出来事。
もはや戻ることは出来ないし、戻る気持ちもそうした思い入れも到底無い。
人は、お互いにわずらわしさやネガティブな想いを持とうと、その社会からなかなか抜け出すことは難しく、それならば「何とか旨く、肩を寄せ合って生きて行こう」とする。それが社会の約束であり生活の知恵と言うものだろう。そうした約束事や知恵や社会性や協調性は皆無な人間だった。
幸か不幸か、その社会から抜け出して、結果的にそうしたわずらわしさからも距離を置く絶好の場所に今居る。
この地に来ても、この性格上、なかなか人と旨くやっていくことは難しい。しかし、日本程のわずらわしさは感じない。
わたしは基本的に一人が好きだし、いつでもそのスタンスは孤独に身を置くようにしている。
孤独=私であり、孤独は私のミニストリィーであり、孤独こそ私自身だとさえ言える。寂しいとか、もはやそう言う次元では無い。孤独は私なのだ。
私はこの孤独の精神状態を、砂漠と呼んでいる。孤独になりたい時は(ほとんどいつでもそうだが)、この砂漠に向かう。これは精神の状態だから、どこでもこの砂漠はある。私が波乗りをするブルーへブンであったり、ハーフムーンあったり、わざわざそうした場所に出かけなくても、どこにだって砂漠はあるのだ。
たとえば今居るこの部屋だって、私に一番の心安らぎを与えてくれる砂漠だ。仕事から帰り、家に帰り部屋に戻ったとたん、私の部屋は砂漠に変貌していく。
荒涼とした砂漠が私の目の前に現れ、その砂漠で私は安らぐ。そこでジィーとしていると、やがて風の歌が聴こえて来て、水平線の彼方から次々と蜃気楼が姿を現す。それを私はノートに書き留めていく。日々、そんな毎日のなかで過ごしている。それ以上の至福と刺激を、今の私にもたらすものは無い。だから、今日もこうして孤独と言う砂漠に身を横たえている。ところで孤独が私のミニストリィーだとすると、砂漠は私のテンプルだ。

私は私の想いを、孤独の中で自分自身と向かい合い、書くと言う行為で昇華させて行きたい。
我が師は、私が孤独になればなるほど、砂漠に向かい一人になればなるほど、私は我が友や弟子達と実は会話をしているのだと言う。この事は、私=孤独(砂漠に向う者)で、そう言う私という存在と行為そのものを彼らはいつでも見ており、私がメッセージを発しようが発しまいが、私の想いはそのものが彼らにいつでも届いており、彼らと私は話をしていると言うのです。これは「洗礼者ヨハネ」が砂漠で実践したことで、師はこのヨハネに私をよく例えてくださる。あのイエスに洗礼を与えたお方と同等に語られて喜んでいる自分が、光栄を通り越して不遜のそしりを免れないことは重々承知している。しかし、これが色々な意味で、つまり孤独、弟子や人との関係、伝導(自分の考えを述べ伝えて行くと言う意味に置いての)等での、私の方向性の指針になってることは確かだ。
こうした今の私が、彼ら(昔の友)と又やって行けると想うか?答えは、否。
青春時代同じ夢を追いかけて居たはずの我々は、もはやそれぞれの違う価値観の中に生きる。その価値を彼らに分かってもらおうとか、そう言う想いも更々ない。私は私の想いを、孤独の中でただただ自分自身と向かい合い、今後も見つめて昇華させて行きたい。想いはそれだけだ。
Nにも、色々な事情はあるかも知れない。しかし、人は皆孤独の中で生きているのだ。そして結局は頼れるのは、己だけだ。こうして異国に居ると、特にそう言うことを感じる。そして彼に言えることは、頑張って欲しい、それだけだ。

今私にとって湘南とは? 懐かしい私の青春の場所。そこは今でも昔の友が住む場所。
ただ、ありがとうと言いたい。友に、あの場所に、あの波たちに、、、、。
七里が浜で過ごした日々や、カブネのあの波を、今でも想いだすよ。

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