Tuesday, October 25, 2011

Great Victory. 大いなる勝利。


10月26日(水)
一昨日の誕生日は己の罪故に、大いなるストラグルの中にいた。
わたしは己の欲、罪故に人を裏切り、罪を犯そうとしていた。否、既に罪を犯し、更なる罪を重ねようとしていた。
そして、大いなる不安と動揺に苛まれた。
「お前はこのまま罪を犯し続けるのか?お前が黙っていれば誰も知らず、ことは済むかも知れない。しかし本当にそれで良いのか?ことあるごとにお前がした悪時は頭をもたげて心の底から沸き起こり、生涯お前を苦しめるだろう。」
一昨日は一日、ズートそうした想いに苦しめられた。それは良心の呵責ではない。それは自分の心の内から湧き上がる物だが、これは神への怖れから来るものである事に気付いた。
元来、相当の悪で、これごときのこと等気にする男ではなかった。
ところが、わたしは変わった。わたしが自身で変わった訳ではない。では、どういうことか?
わたしは神と共に生きる。彼の子として生きると誓った。そしてその契約を確かにした。
その後、わたしには神の祝福が訪れ続け、奇蹟が訪れ続けた。すべてが順調に、自分の想い以上のものが訪れ適い続けた。
自分が行っているのに、行っているのは自分ではない。やること成すことが、すべて旨く行く。そのようなことが私の身に現実に起こっている。
平穏と至福の中で、まるで夢の中を歩いているような心地の
毎日。
それは、もうわたしは約束の地カナンに足を踏み入れ、御国に入っていると想わせるものだった。
それを今回の罪で汚し壊して良いのか。自問自答し、苦しんだ。昨夜、夜中に起き出して、祈り続けた。
そして聖書を読み、その御言葉の中に、自分の今の状態を見た。そうしている内に、自然と答えは出て来た。それが、一昨日引用した聖句だ。
昨日は朝一番で、わたしが結果的に騙し迷惑を掛けようとした人に会い、そのことを話した。
彼はそうしたわたしがしたことを知る由もなく、私の話に驚いて戸惑っていたが、受け入れてくれた。
それはそうだろう。いきなり分けもなく謝られて、おまけに金まで返してくれると言うことだから。
今回のことは、むしろ彼との問題ではなく、自分自身の問題であり、わたしと神の問題なのだ。
それをこの告白、謝罪で修復したのだ。
この告白、謝罪は公に自分の罪をさらけ出すことである。これを悔い改めと言う。
これを行った瞬間に、それまで重しのようにわたしにのしかかっていた
ネガチィブな感情が一瞬にして吹き飛んだのを感じた。
暗い闇のカーテンが開け放たれ明るく光に心が満たされるのを感じた。
もはや、わたしはこの罪を背負うことなく、何の心配も怖れも思い煩いも感じずに歩くことが出来る。

「わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むのなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。」
ヨハネの手紙1章6節
「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めて下さいます。」
ヨハネの手紙1章9節

ところで今こうして振り返ると、これらのことはすべて神が
導いていることを知るのである。
そして、これこそ神のわたしへ与えてくれる恵みであることに気付くのである。
つまり五十九の年を始めて行くにあたり、本来罪の固まりであるわたしを神はひとつひとつ洗い流し、そして清い体にし、私を彼の御国に向かい入れてくださるべく準備をして下さっていることだろうと想う。
その御国に入る為にわたしにはこれからもまだまだ己の醜さ、罪を見せつけられ、それと対峙して行く試練を与えられるだろう。
御国の門は近し、しかしまだまだ遠し、そんな想いでいる。
昨日はその門に近付く、大きな勝利を治めた一日だと言える。

ところでわたしは昨日の出来事について多くの友にも送ったのだが、その中の一人から、
横浜さん、
なんかあったんですか???
と言う連絡が入った。
それに対して、わたしは下記のように返事をした。

御気遣い、ありがとう御座います。
人間は罪人(特にわたしは)、そうした自分の罪を見せつけられたのです。
わたしは日頃、自分と神との経験を伝えて行きたいと想っているのですが、その為
皆さんのメールにもそうした想いを織り込んでいるつもりです。
つまり神がいかにわたしをし祝福しているかと言うことを。それを証しと言いま
す。
今回のこうしたわたしのストラグルを赤裸々に告白するのはどうかとも想ったので
が、特にこうした悩みの方がインパクトがあると想いそれを正直に書いたものを送った次第で
す。
でも心配なく。
神はすべてを洗い流してくださいました。
それを証しとして、明日のメールで送りましょう。

のメールの通り、わたしは自分との神との経験と神がいかにわたしを祝福しているかと言うことをわたしの証しとして述べ伝えて行きたいと想います。
ある意味でわたしの行為は押しつけがましく、恥も外見もない行為に映るかもしれません。
しかし愛するものを愛すると言い、美しいものを美しいと言う、その行為に何の躊躇がいるものか。そう思うのです。
よしんば石を投げられようとも、わたしはやめることは出来ません。何故なら、それはもはや神が私を選び与えて下さったわたしのミッションであり、神とわたしの交わした契約でもあるのだから。
岩崎さんから冗談まじりに横浜神父と言うメールを頂きますが、私はこの言葉を先生とか師匠と呼ばれるより嬉しく想います。
皆が冗談ではなく本当に神父と呼んでくださる日が来るのを、本気で夢見ている今日この頃です。
「あなたは幸せな人だ。」そんな声が聞こえて来ます。その通り、私ほど幸せな人はいないでしょう。神にこれほど愛されると想い、神に選ばれたとの確信を持っているのだから。ところで、確信と自信は違う。自信は己のうちから来るものであるが、確信は神から来るものである。
その確信のもとで、私は行動し生きている。それほど幸せで力づよいことがあろうか

アーメン。

Monday, October 24, 2011

五十九歳の誕生日に, Part 2.


10月25日(火)
神様、お早う御座います。
昨日59歳の誕生日を素晴らし一日にするはずが、とんでもないスタートになりました。
最悪な一日の中にいました。
ああ、神よ、このような日にあなたは何故わたしにこういうこと御示しになったのでしょう。
あなたがなさることには、大きな意味がある事でしょう。
私は今日一日、自分の過去に犯した罪故に、まったく平穏でない一日を過ごすことになり、それ故自分の卑小さ、ずるさ、を見せつけられ、苦しむこととなりました。
わたしは、あなたの前に何一つ誇ることの出来ない、だだの罪人であることを思い知らされました。
私は、今、あなたの前に立つことも、あなたを語ることも、そうした資格が自分に本当にあるだろうかと考えさせられました。
この罪を深く考え、心から悔い改めなければ私はあなたの祝福を享受するのことが出来るのだろうか、そんな資格があるだろうか。そのように想いました。
そうした想いに苦しめられ、まったく平穏ではありませんでした。
私に今出来ることは、自分と言うもの、自分と言うたった一個の罪でしかないもの真摯に深く見つめ、あなたの前にその自分(罪)をさらけ出すことです。
それによりあなた様に赦して頂き、その罪を洗って頂くしかありません。
あなたはわたしの神。
私を愛してくださる神。
わたしがどんなに汚らわしく罪な存在であろうと、あなたは私を愛し赦して下さであることを知っています。
その私の罪、想い、弱さを、今あなたの元にすべてさらけ出します。
どうか神様、その手伝いをしてください。

詩編22章
私は虫けら、とても人とはいえない。
人間の屑、民の恥。

私の力は消え失せ
骨はことごとくはずれ
心は胸の中で蝋のように解ける。

口は渇いて素焼きのかけらとなり
舌は上顎にはり付く。
あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。

主よ、あなただけは
わたしを遠くはなれないでください。
わたしの力の神よ
今すぐわたしを助け出してください。

わたしは兄弟たちに御名を語り伝え
集会の中であなたを賛美します。

地の果てまで、
すべての人が主を認め、御もとに立ち返り
国々に民が御前にひれ伏しますように。

詩編38章
わたしの肉にはまともなところもありません。
あなたが激しく侮られたからです。
骨にも安らぎはありません。
わたしが過ちを犯したからです。
わたしの罪悪は頭を超えるほどとなり
堪え難い重荷となっています。
負わされた傷は膿んで悪臭を放ちます。
わたしが愚かな行いをしたからです。
わたしは身を屈め、深くうなだれ
一日中、嘆きつつ歩きます。
腰はただれに覆われています。
わたしの肉にはまともなところもありません。
もう立てないほど打ち砕かれ
心は呻き、うなり声を上げるだけです。

主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。
わたしの主よ、わたしの神よ
御自身でわたしに答えてください。

わたしは今や、倒れそうになっています。
苦痛を与えるものが常にわたしの前にあり
わたしは自分の罪悪を言い表そうとして
犯した過ちゆえに苦悩しています。

主よ、わたしを見捨てないでください。
わたしの神よ、遠く離れないでください。

わたしの救い、わたしの主よ
すぐにわたしを助けて下さい。

詩編51章
神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって、
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
わたしの咎をことごとく洗い
罪から清めてください。

あなたに背いたことをわたしは知っています。
わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し
御前に悪事と見られることをしました。
あなたの言われることは正しく
あなたの裁きに誤りはありません。

わたしは咎のうちに産み落とされ
母がわたしを身ごもったときも
わたしは罪のうちにあったのです。
あなたは秘儀ではなくまことを望み
秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
ヒソプの技でわたしの罪を払ってください。
わたしが清くなるように。
わたしを洗ってください
雪よりも白くなるように。
喜び祝う声を聞かせてください
あなたによって砕かれたこの骨が喜び踊るように。

わたしの罪に御顔を向けず
咎をことごとくぬぐってください。

神よ、わたしの内に清い心を創造し
新しく確かな霊を授けてください。
御前からわたしを退けず
あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
御救いの喜びを再びわたしに味わわせ
自由の霊によってさせてください。

わたしはあなたの道を教えます
あなたに背いている者に
罪人が御もとに立ち帰るように。

神よ、わたしの救いの神よ
流血の災いからわたしを救い出してください。
恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
主よ、わたしの唇をひらいてください
この口はあなたの賛美を歌います。


もしいけにえがあなたに喜ばれ
焼き尽くす捧げ物が御旨にかなうのなら
わたしはそれをささげます。
しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
打ち砕かれた悔いる心を
神よ、あなたは侮れません。

御旨のままにシオンを恵み
エルサレムの城壁を築いてください。
そのときには、正しいいけにえも
焼き尽くす完全な捧げ物も、あなたに喜ばれ
そのときには、あなたの祭壇に
雄牛がささげられる
でしょう。

ああ神様、有り難うございます。
あなたは御言葉を通じて、わたしが今日すべきことを教えてくださいました。
謙虚に自分の罪を認め、告白し、赦しを求めることです。
その為の勇気、力を与えてくださり有り難うございます。

わたしは、わたしのおかした罪故に、そのことのみを考えてていましたが、娘のマーラは今サバイバルのゲームに勝ち残り、とうとう最後の3人に中に入ってしまいました。
わたしの行為は、そうした娘の頑張り、神の祝福に水をさすもの
です。
そのことに恥じ入ります。
神様が与えてくださった打ち砕かれた霊を持って、この罪を洗い流し、今日すべてのネガティブな心を清めたいと想います。
神よ、共にいてください。
アーメン。